手芸が趣味の三姉妹の母Imoanです。
長女は先天性の心疾患と肺疾患を持って生まれてきました。どちらの病気もお腹の中にいた時に判明していました。胎児診断とか出生前診断、最近では胎児ドックというのもありますが、妊娠中に判る胎児の病気は色々あるようです。長女の場合、最初に判ったのは肺の病気-先天性嚢胞状腺腫様肺奇形(CCAM)でした。あれは忘れもしないクリスマスの翌日、普通の妊婦検診がきっかけでした。今日はその時のことを振り返ってみようと思います。
2005年12月26日、妊娠21週6日、妊娠6か月の妊婦検診で胎児の異常が見つかりました。腹水といってお腹に水が溜まった状態で、これは胎児の体循環が悪くなっている証拠なのだと知りました。その原因を調べるために急いで受診した方が良いとのことで、町の産婦人科クリニックから大きな大学病院を紹介され、その日のうちに胎児スクリーニングといわれる詳細な超音波検査を受けました。その結果、肺に異常があることがわかりました。
病名は先天性嚢胞状腺腫様肺奇形(CCAM)といい、肺の一部が嚢胞状(小さなふくろの集まりのような状態)の腫瘍(良性)に病変してしまう病気です。何万人に一人と言われる珍しい病気で、最近は超音波検査の発達によりお腹の中にいる時に見つかる場合が多いようです。嚢胞の大きさによってタイプⅠ、Ⅱ、Ⅲと分類され、そのタイプによって予後も変わってくるそうです。原因は解明されていません。
長女の場合は、病気が判明した時、左の肺が腫瘍になって膨らみ、心臓は右へ寄り、右の肺は隠れるほどに圧迫されていました。胎児水腫(胎児がむくんでいる状態)はそのためだと考えられました。また実は私のお腹が週数の割に何となく大きいなぁと感じいてたのですが、それは胎児が上手に羊水を飲んで外に出すことが出来ず、羊水がどんどん増えていて羊水過多になっていたこともわかりました。
「このまま腫瘍が大きくなったり、むくみが進行すれば、赤ちゃんは生きては生まれて来られないかもしれない。
たとえ生まれて来られたとしても、呼吸ができなくてお母さんのお腹の外では生きられないかもしれない。
腫瘍が小さくなることもあるけれど、症例が少なく、予後は期待できないでしょう。」医師からはそう告げられました。
病気のことはもちろんショックでした。しかしそれ以上に私たち夫婦を苦しめたものがありました。この病気が判明した日は妊娠21週6日です。母体保護法によると「妊娠を続けるか?諦めるか?」選択できるギリギリの期限だったのです。そのため病院で決断を迫られることになるのでした。もしも病気が判るのが翌日以降だったならば、最初から諦めるという選択肢はありませんでした。
私は長女を妊娠する前、化学的流産といってとても早い時期の流産を経験していました。当時は妊活という言葉こそありませんでしたが、その化学的流産の経験はとても辛く、その後、妊活をしてやっと授かった赤ちゃんでした。早い時期からベビー服を手作りしてみたり、この病気が判明する前日のクリスマスでも、主人と「赤ちゃんにもクリスマスプレゼントを♪」なんて言って小さなニギニギを買って浮かれていました。浮かれていたのが悪かったんだろうか・・・。たった一日でこんなにも世界が変わってしまうのかと、ただただショックだったことを覚えています。それでもお腹の赤ちゃんは病気だと言われていることが嘘のように、とてもよく動いていました。お腹の中で動いて生きているから、私には諦めるなんて考えられませんでした。
主人も大学病院で医師の説明を受け、病気について判りやすく丁寧に教えてもらい、病院で長い時間話し合って泣いて決断しました。「たった一日では決められない。だから諦めるという選択は今日この場で選ぶことはできない。」
二人で妊娠を続けることを選びました。
その後、私はハイリスク妊婦としてマタニティ生活の第二ステージを歩んでいくのですが、「妊娠を続ける」と決めた選択を後悔してしまうような試練が度々降りかかり、それが主人を苦しめました。私自身は妊娠中に後悔することは一度もありませんでしたが、出産後、現実が甘くないと感じた時にはこの選択肢があったことをふと思い出すことがありました。
それでも様々な試練を乗り越えて小学5年生になった長女を見ていると、あの時の選択は間違ってなかったと思います。
今現在、お腹の中の赤ちゃんの病気が判明した方も読んでくださってるかもしれませんね。これから胎児診断を受けようかと悩まれている方もいらっしゃるかもしれません。病気が判ると辛いですが、乗り越えられるよう応援しています。
ハイリスク妊婦となった私のマタニティ生活については、またこの次のブログで書きますね。
読んでいただきありがとうございました。