心臓の手術後から発達が上向きに

手芸が趣味の三姉妹の母Imoanです。いよいよ今日から小学校は夏休みです!と言っても長女はまだまだお休みになりません。小学校の合唱団に所属していて夏休み前半は毎年NHKコンクールの予選に向けて猛練習が続きます。また同じ期間に学校で算数補習教室があり、これにも申し込んでいます。夏休み初日の今日も「暑い~!」と言いながら朝は補習教室で、午後は合唱団へ行きました。

長女は勉強が苦手です。音楽も大好きなのですが、楽譜は読めません。心臓病や肺疾患と勉強が苦手なこととは関係ないと心臓の主治医は言うのですが、心臓も肺も健康な人と違うのに勉強だけ健康な人と同じなわけはないだろう…と私は長女を育てながら感じています。今日はそんな長女の気になる発達に関して綴りたいと思います。

長女は両大血管右室起始症(DORV)という心臓病と、先天性嚢胞状腺腫様肺奇形(CCAM)という肺疾患で、生まれてすぐに左肺の2/3を切除し正常な肺は一つだけになります。そのため血中の酸素濃度が低い低酸素血症の状態が続いています。平均的な血中の酸素濃度は80%前後で、動けば下がり70%台、風邪などで体調を悪化させてしまうと60%台にまで下がります。健康な人はほぼ100%です。周りが平地を歩いているところ、一人だけ高山の上を歩いたり走ったりしているようなものだそうです。主治医に尋ねると70~80%前後という血中の酸素濃度は脳への影響がないレベルだそうです。

しかし長女の体調が今と同じくらいになったのは3歳の時に受けたグレン手術という心臓の手術の後からでした。それまでは体調があまり良くなくて、ゆっくりゆっくり成長していました。

長女は2歳になるまでほとんど飲んだり食べたりをせず、経管栄養といって鼻から胃にチューブを入れてミルクを点滴のような要領で注入していました。経管栄養については、またいつか改めて詳しくブログに書きたいと思っています。

また3歳になるまでは治療や体調不良のため何度も入院をしました。調子の良い時でも午前と午後とよくお昼寝をして、一日の大半を寝て過ごしていました。

言葉についても3歳で手術を受けるまでは「ママ」くらいしか声に出さず、本人が勝手に作ったベビーサインのようなものでコミュニケーションをとっていました。おしゃべりが本格的に始まったのは手術の後に体調が落ち着いた3歳半くらいからでした。

運動に関しては歩行訓練を目的に1歳から理学療法を受け、歩けるようになったのは2歳を過ぎた頃でした。歩けるようになり理学療法を卒業してからは一年ほど作業療法を受けて発達を促してもらっていました。

また同時に2歳からの2年間は週に二回心臓病児の保育グループへも参加していました。その保育グループでは基本的に母子分離で子供達は保育士と保育室で過ごすことができますが、長女は2年間通ったうちの1年半も私から離れることができませんでした。声を出せるようになったのと同時期に離れられるようになったので、それまでは体調が優れなくて離れられなかったんだと後になって保育士の先生方と気がつきました。

赤ちゃん時代から発達を診てくれていた小児神経の先生は、娘が食べなくて経管栄養だったり、しゃべらなかったり、母子分離ができなくて悩んでいた時期に、その原因は「発達にブレーキをかけるものが多いから。」と教えてくれていました。全ては体調が良くないことに関係していたのでした。

病気があると発達についても気になるものですが、まずは元気になることが先だと思って焦らず見守って欲しいなと思います。

長女はおしゃべりや母子分離がようやく出来るようになってから半年後に幼稚園へ入園しました。入園時はどんな様子だったか、また次のブログで書きたいと思います。今日も読んでいただきありがとうございました。