集中治療室での一週間

手芸が趣味の三姉妹の母Imoanです。前のブログでは長女が生まれた日のことを書きました。母子手帳には出生時の状態の欄に重症仮死と書かれてあります。生まれたその日に先天性嚢胞状腺腫様肺奇形(CCAM)の嚢胞状の腫瘍となっていた肺の2/3を切除しました。今日はその後の一週間を振り返ります。

出産をした日の晩に長女の手術が終わり、私は興奮して全く眠れませんでした。帝王切開の術後で絶飲食が続いていたり、麻酔がまだ効いていたりもして、朝が待ち遠しく、眠れないので主人が撮影してくれていたデジカメやビデオカメラを眺めながら時間が過ぎるのを待ちました。朝5時に看護師さんが来てベッドを起こしてくれました。少しずつ麻酔がきれて食事も始まり、徐々に体も動かせるようになり、主人が面会に来てから二人で長女へ会いに集中治療室へ向かいました。

長女は体外循環装置(ECMO)や呼吸器がついていて、ずっと薬で眠らされている状態でした。口元は呼吸器を固定するためのテープががっちり貼られ、しょっちゅうモニターがピンコンピンコン鳴り響き、その度にお医者様達や看護師さん達が忙しく処置してくださっていました。私達はそれをただただ見守りお願いするしかできず、面会できるのは10分ほどの限られた時間でした。小さな長女が頑張っていましたが、それは沢山の先生方、看護師さん達が頑張ってくれたお陰でした。

その翌日、少しずつ長女の状態が安定し始め、今度は体外循環装置(ECMO)を外し、それをつけていた血管を修復する手術を受けました。その手術が終わって面会へ行くと、お守り代わりに置かせてもらっていた手作りのベビーベストを着せてくださっていました。長女が小さかったので、ちゃんちゃんこを着ているようでした。

体外循環装置(ECMO)からの離脱がうまくいき、それまで昼夜を問わず看てくれていた先生方や看護師さん達が喜んでくださったのも束の間、その翌々日に原因不明の貧血により肺からの出血が疑われて再び生まれた日に手術をした左胸を開いて止血する手術を受けました。結局は肺からではなくて、お腹にドレーンという管をつないでいたところからの出血でした。

さらにその二日後、面会に行くとそれまでずっと目を閉じていた長女が重たそうなまぶたを開けて、初めて目を覚ましました!それが眠っている顔とはまた違って、可愛かったのです。まだうとうとしているような感じで目を開ける瞬間はほんの少しだけでしたが、嬉しくて嬉しくてビデオカメラを回しながら自分の目で直接見ながらだったので上手く撮影できていませんでした。麻酔や鎮痛剤の量が少しずつ減っていき、ようやく大人ばかりの集中治療室から赤ちゃん達のいるNICU(新生児集中治療室)へ移りました。生まれてからちょうど一週間後のことでした。

私自身は術後の体が回復し、せっかく長女と同じ病院で面会も毎日病室から通えていましたが、一人退院して病院から距離のある自宅へ戻りました。

長女はこの後、今度は心臓病の治療が始まりまだしばらく入院が続きました。続きはまた今度綴っていきたいと思います。

集中治療室に赤ちゃんは娘一人でしたが、NICUには赤ちゃんが何人もいました。今現在も病気と闘っている赤ちゃんとお母さん達が世界には沢山いらっしゃるんだと思います。早く親子でお家へ帰れますようお祈りしています。

読んでくださりありがとうございました。

※出生後の診断は肺疾患については先天性嚢胞状腺腫様肺奇形(CCAM)タイプⅡで、左下葉部分は肺分画症を合併していて、気管は通っているものの肺動脈では繋がっていませんでした。実質、まともな肺は右だけになります。