新生児の手術:生まれた日に肺の腫瘍を切除

手芸が趣味の三姉妹の母Imoanです。今日は長女が生まれた日のことを振り返ってみます。

長女は予定帝王切開で2016年4月18日に生まれました。保育器に入って運ばれていくのを見送った後、私は産婦人科の医師達がお腹を縫ってくれる間、目をつぶって眠りました。その後、麻酔の影響でオエオエとなりながらストレッチャーで自分の病室へと運んでもらっている最中、小児科の医師が急いでやってきました。主人が携帯にかけてもつかまらないとのことで、生まれたばかりの長女のカテーテルによる造影検査にサインが必要だということでした。新生児でもあることから、もしかしたら検査の途中で命を落とす可能性もあるかもしれないが、検査をしないと手術をすることができないし、手術をしなければ助からない状況であるということでした。

そんな中、主人と駆けつけてきてくれていたお互いの両親はというと、長女が生きて生まれてきたことに大喜びして、お昼を食べに病院の外へ、それもなぜか携帯の電波の届かない地下のお店へ行っていました。のん気に戻ってきたら、主人だけ長女が検査に行く前にNICU(新生児集中治療室)で面会させてもらえました。私は術後すぐは起き上がることが出来ず、主人に写真を撮ってきてもらうことしかできませんでした。

主人が撮ってきた写真に写る長女は色々な機械に繋がれて口には呼吸器が入り、テープも沢山貼られていました。今その写真を見返すとぐったりしていて、母子手帳には出生時の状態は重症仮死と書かれていました。しかし私達はそれまで生まれたての赤ちゃんを見る機会もなかったからか、それとも生まれる前から悲しいことを想像していたからか、生きてくれているというだけで嬉しさいっぱいでした。一時期は妊娠をやめさせたいとまで言っていた主人でしたが、長女を見て素直にかわいいと思ったそうです。看護師さん達にパパに似てると言われ、それもまた嬉しかったそうです。

病室で寝ていると産婦人科、小児科、循環器科、外科、色々な先生方が病室へ来て、その度に主人とまさかッとドキッとしましたが、検査の結果や手術の説明をしてくださり、それを聞く度に「まだ生きてる。頑張ってる。」と知ることができました。

夕方になり、いよいよ先天性嚢胞状腺腫様肺奇形(CCAM)の肺の腫瘍を切除する手術を受けることになりました。その前に看護師さん達が私をストレッチャーに乗せて長女のいるNICUへ運んでくださいました。普通は出産の翌日から車イスでの面会だそうですが、先生や看護師さん達の計らいで会わせてくださいました。まだ麻酔の影響で体が動かせませんでしたが、腕だけを伸ばして長女の足に触れることができました。頑張ってねと祈るのが精一杯で、後は先生方にお願いするばかりでした。

生まれて6時間後に長女が手術室へ運ばれ、祖父母達は残念ながらNICUでの面会は禁止されていますが、移動のエレベーターホールでほんの少しだけ対面して見送ってくれました。

手術室へ入って数時間後に長女の主治医が手術の帽子を被ったまま急いで病室へやってきました。「体外循環装置(ECMO)をつけたら顔色がぱぁっと良くなってね、これならじっくり時間をかけて慎重にやっていけそうだとみんなで安心したところです。これから肺の腫瘍を切除していきますからね。」と説明してくださいました。そしてまたサササッと行かれました。

それから何時間過ぎたでしょうか、夜中の10時を回った頃、主治医が戻ってきて「無事に終わりました!左肺の2/3を占めていた腫瘍を切除して、1/3は残しました。肺はこれから機能していくので徐々に膨らんできたら良いかな。」と報告してくださいました。長女はこれから集中治療室に移動して落ち着くまでには時間がかかるので面会はまた明日ということでした。

主人も祖父母達も、みんながホッとしたけれど、それはもう長い一日でした。助けてくださったお医者様達や看護師さん達に心から感謝しています。前もって診断されていたから、またこの病院へ巡り巡って辿り着き、主治医や執刀医、看護師の皆さんに出会えたから助かったんだと思います。

その後、長女が退院するまでにはまだまだ試練がありましたが、またそれは次のブログで綴っていきます。小学生になった今でも悩みは尽きませんが、生まれた時のことを考えると、どんなことも乗り越えられそうな気がします。

今日も読んでいただきありがとうございました。