小学校入学へ向けて気がかりだったこと

手芸が趣味の三姉妹の母Imoanです。前のブログでは長女(小5)が幼稚園に入園した頃の様子を書きましたが、今日は幼稚園に慣れ、小学校入学に向けて発達検査を受けた頃を振り返りたいと思います。

長女は両大血管右室起始症(DORV)という心臓病と、先天性嚢胞状腺腫様肺奇形(CCAM)という肺疾患を併せ持って生まれてきました。心臓は複雑な形をしていて、肺は生まれてすぐに左肺の2/3を切除しています。血中の酸素濃度は健康な人がほぼ100%のところ長女は安静にしている状態で80%前後です。主治医には周りが平地を歩いているところ、一人だけ高山の上を歩いたり走ったりしているようなものだと言われています。発達は3歳でグレン手術という心臓の大きな手術を受けるまでは、元気なお子さん達とは全く違うスピードでゆっくりゆっくり成長してきました。

それでも3歳半頃からようやく声を出すようになり、母子分離もできるようになって、幼稚園へは3年保育で入園しました。加配(介助)の先生も私の付き添いもなく過ごしていましたが、それは年少、年中時の担任の先生が養護教諭の免許を持ったベテランの先生で、娘の体調やペースをよく見ながら対応してくれていたお陰でした。周りのお子さんに比べると、すること全てがゆっくりでしたが、幼稚園入園前に比べれば出来ることがどんどん増えて、幼稚園での3年間は長女にとって楽しいこと嬉しいことがたくさんあった良い期間でした。

幼稚園の外でも、帰りにお友達と公園や児童館へ寄って過ごし、病気があるなしに関係なく親子で交流を持ちました。みんなと一緒に過ごす中で、長女だけ歩くスピードがゆっくりだったり、走るとしゃがみ込んだり、プールに入れば冷えて震えたり、みんなと同じようにはいかないこともありました。しかし周りもそんな長女の特徴は自然と受け入れてくれていました。遊ぶことはその時に気が合えばお友達と一緒に遊びますし、遊びたいことが違えば一人で遊ぶという感じでした。

お母さん方には最初の保護者会で病気について公表しました。保護者の送り迎えが必要な幼稚園でしたので、登園降園時に長女の様子を見ながらとても理解してくれていました。長女が年少だった夏休みに次女が生まれて、私の手が回らない時もあったのですが、そんな時にはお友達のお母さんが娘の手をとって一緒に歩いてくれたり、お喋りに付き合ってくれたりしました。そういうことが親子で本当にありがたかったです。

また集団生活の中では普通に元気なお子さん達同士でもあるような意地悪をされることもありましたが、必ずかばってくれるお子さんもいて、注意してくれる先生もいて、自然に集団生活を経験できた3年間でした。

ただそんな中でも小学校へ入学することを考えた時、ゆっくりな発達について気にしないわけでもありませんでした。お友達と一緒に遊ぶこと、活動すること、先生や友達とのコミュニケーションという点ではそんなに心配していませんでしたが、ひらがなに全く関心を持たないことが気になっていました。

絵本は赤ちゃんの頃からよく読んで聞かせていました。言葉を話さなかった頃は長女も絵本が好きだったようで、よく絵本を私の所へ持ってきて読んでとお願いされることも多かったのですが、幼稚園に入った頃からそういうことが減っていきました。私自身も下の子の世話でなかなか余裕がなかったのですが、幼稚園でもよく先生が絵本の読み聞かせをしてくれたり、毎週絵本を借りて帰る習慣があったりして、身近に絵本がある環境にも関わらず本人の興味があまりないように見えました。

年中から音楽教室へ通っていましたが、鍵盤の位置も音符も覚える気配がなく、それも気になりました。音楽の先生に少し相談してみると、小さい子供はまだ目が発達していなくてしっかり白黒の鍵盤を見分けられなかったり、五線もよく見えないお子さんもいるとのことで、長女もそうなんじゃないかと言われました。そしてその通り、長女はその後、幼稚園の眼科検診がきっかけで右目と左目が遠視と乱視で視力が弱いことがわかり、矯正のための眼鏡をかけるようになったのですが、鍵盤や音符を覚えられないのは目に問題があったからでした。耳は良かったようで、音を聴いて、その感覚で弾いたり歌ったりして音楽を楽しんでいました。

そんな調子で、特別困っていたわけでもなく、何かきっかけがあったわけではなかったのですが、年中の夏休みに何か小学校に入る前に準備できることがあればと、赤ちゃん時代から知っている小児神経を専門とする発達の医師の所へ数年ぶりに連れていきました。「昔に比べたらよく成長しているじゃないの。」というのが医師からの第一声でしたが、この調子のままで入学となると確かに心配になるかもしれないから、発達検査をしてみましょうということになりました。

田中ビネー検査という発達検査を受けました。その年齢月齢に対してどのくらいのレベルの発達かということが数字で示される検査になります。年齢相応であれば100、それよりも高いか低いかで発達の程度が示されます。結果は100よりも低くて発達ボーダーライン、グレーゾーンと言われるレベルでした。医師による診断では医学的に言うと発達障害とか学習障害とは異なり、名前をつけるとしたら「発達遅滞」と言うそうです。つまり全体的に発達の遅れがあるということでした。脳の問題と言えばそうなのでしょうが、調べたところで変わるものでもないので、脳の検査は必要ないとのことで受けませんでした。今後、遅れが周りに追いつくのか、差が広がるのか、またはこのまま平行線でいくのかそれは不明であるとのことでした。

この遅れを取り戻すために何かできることはないかと尋ねましたが、発達遅滞の娘に合う療育の場はなく、家庭や幼稚園、習い事など生活の中で発達を促していくしかないと言われました。この時点で小学校入学までにまだ時間がありましたので、少なくとも自分の名前をひらがなで書けるように、それを目標に運筆やあいうえおの本などを読む機会を増やしていきました。残りの幼稚園時代で何か特別なことはできませんでしたが、近所のお絵描き教室で小学生のお兄さんお姉さんと仲良しになって刺激をもらったり、時間と共に少しずつ発達していきました。ただ周りのお子さん達もどんどん成長していくので遅れが追いついている感じでもありませんでした。

また年長になると担任の先生が変わり、運動面や言葉の面で元気なお子さん達との違いを指摘されるようになりました。先生の話すことや周りのお子さん達の話すことが少しずつ長女にとって難しくなっていったのかもしれません。小学校へ入学する半年前に就学相談を受けました。

次回はその就学相談について書きたいと思います。今日も読んでいただきありがとうございました。